責任の所在

2001年12月18日
いつの新聞だったか憶えていないけど、PLOのアラファト議長からノーベル平和賞を剥奪しようとする動きがあるらしい。
イスラエルとの和平がいつまでも成立せず、オスロ合意も灰燼に帰そうとしているからと言うのがその理由のようだが、それには疑問を感じざるを得ない。

元々同賞はアラファトが圧力を掛けて受賞したものではなく、ノーベル賞の選考委員会が決定したものであるはず。
それを和平プロセスが進展しないからと言って彼から賞を取り上げるというのはおかしいのではないだろうか?

和平が進展するしないは別の話として、平和賞に相応しい人物であると認めたのは委員会の人物であって、アラファトには一切の責を負う筋合いはない。
責任問題を問われるのは当時アラファトに平和賞を与える事を決定した選考委員会の人間達だろう。

第一今回の戦端を開いたのはあくまでもイスラエル側であって、アラファトから宣戦布告をしたわけではない。
それどころか彼は停戦を望む声明を出している。

イスラエルはハマスによるテロを制御しないアラファトに責任があるとしているが、彼にそこまでの責任を負わせる事は酷だろう。
今の彼にそこまでの力はないし、テロ組織を摘発するための力はイスラエルによって破壊されている。

元々テロと言うのはその被害を受けた国にそれなりの原因がある事が多い。
NYのテロでもイスラエルのテロでもどちらも同国の横暴さ故に発生したテロではなかっただろうか?
アメリカの独善的外交は世界中から批判を浴びているし、どう見ても戦争を望んでいるとしか思えない挑発的なイスラエルの態度にも批判が集まっている事がその原因だろう。
テロを正当化する事は出来ないし、許される事ではないが、その被害を被った国も一考を要すると思う。

現代の人々は責任を転嫁をする事が常套となってしまったのだろうな。
自らの非を認めず、ただ形だけの名誉に拘泥し他を傷つけるのが当たり前の世になってしまった。

年寄り臭くなってしまった。。
そんなオチ(笑)

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